【レポート】スポーツを共につくる人の育成「スポーツ共創人材育成ワークショップ」
渡邉朋也(美術家/タレント)
9月14日から16日にかけて、東京都文京区のお茶の水女子大学附属小学校において「スポーツ共創人材育成ワークショップ」が開催された。
スポーツ共創を支える人材を育成しようというのが、このワークショップ
このワークショップは、スポーツ庁と一般社団法人運動会協会の官民連携事業として開催されたもので、「スポーツを共につくる人材」の育成を企図している。その背景には、近年の「スポーツ共創」の静かな盛り上がりがある。
スポーツ共創WEBサイトをご覧の読者にはわざわざ説明するまでもないことだが、スポーツ共創とは、自分たちの手で自分たちのスポーツをつくり、楽しむ営みである。筆者は、このスポーツ共創を通じて、スポーツが持つ原初的な楽しみや喜びの再発見はもちろん、新しい学びの可能性にも触れることができると感じている。もちろんほかの魅力もあるだろう。いずれにせよ、こうしたスポーツ共創の魅力や可能性を信じるひとびとが現在、様々な場所でスポーツ共創の実践を始めているのだ。例えば、国内における代表的なスポーツ共創イベントのひとつ「未来の運動会」は、山口を皮切りに、大阪、京都、渋谷、銀座、福岡で開催されており、その中には毎年開催されている都市もある。また、このあとも様々な都市で開催される予定があるという。
このようなスポーツ共創の盛り上がりに呼応するかたちで、それを支える人材を育成しようというのが、このワークショップである。
教え/教わる関係が混濁し、反転する
講師やファシリテーターとしてワークショップの進行を担うのは、運動会協会の理事で運楽家の犬飼博士を中心に、会場となったお茶の水女子付属小学校の教諭で「未来の体育を構想するプロジェクト」主査の神谷潤、哲学対話ファシリテーター/コーディネーターの安本志帆の三氏。
ここにエンジニアの泉田隆介、プレイワーカー&トレーナーで、NPO法人日本冒険遊び場づくり協会代表の関戸博樹がプログラムに応じて、コメンテーターやディスカッサントとして参画するという配置になっている。
しかし、後述するこのワークショップのプログラムの特性上(そもそも「ワークショップ」である以上)、教え/教わるというような流れが必ずしも一方向ではない。時折、そうした関係が混濁し、反転するようなシチュエーションも生まれることになる。
このワークショップにはおよそ30名の参加者が集まった。首都圏を中心に、九州や関西など幅広い地域から参加しており、盛り上がりを実感することができる。
またバックグラウンドも多様で、小学校などの学校教員や、地域活性化事業を手掛ける民間企業、また高校生や高専生なども参加していた。こうした参加者のバックグラウンドからも、スポーツ共創に眠る多様な可能性、そしてそこに対するひとびとの期待が理解いただけるのではないだろうか。
アクションシート
3日間のプログラムは「アクションシート」と呼ばれる参加者個々人の目標設定を軸に展開していく。アクションシートには以下のようなことを記述する。
- このワークショップを経て、その後どんなことをを実現するか(ゴール)
- なぜ自分がやらなければならないのか
- いつ/どこで/だれとやるのか
このワークショップでは、「スポーツを共につくる人材」を、「スポーツをつくる」と「共につくる」という二つのスキルセットを併せ持った存在として捉えている。しかし、「スポーツをつくる」ことは極端な話、ひとりでもできるが、「共につくる」ことはそうはいかない。
また、「スポーツをつくる」場合は、競技という単位がカウントできれば、つくることができたかそうでないかが観測できるが、「共につくる」ことは、何をもってそう見做せるのか線引きも曖昧だ。そして、つくるものが決まっている「スポーツをつくる」に比べて、何をつくるのかから考えなければいけない「共につくる」。このように二つのスキルセットは概念のレイヤーが大きく異なり、おそらく習得のコストや体系も異なる。
よって、ワークショップ内では前者に比重を置きつつ、後者についてはワークショップを経て形成される主催者=参加者間のネットワークによってフォローしていくという仕組みが取られている。そうしたワークショップ後の展開も見据えるための足掛かりとして、アクションシートが設定されているのだ。
3日間の大まかな流れとしては、初日にアクションシートを案出し、2日目に「スポーツハッカソン」と呼ばれる運動会競技を共創するワークショップと、その競技を実際におこなう運動会を実施。これを踏まえて、最終日にアクションシートをブラッシュアップしていく。駆け足にはなるが以下にレポートをしていく。
1日目:アクションシートの策定
まず初日はオリエンテーションのあとに、アクションシートの策定がおこなわれた。
オリエンテーションでは、先述したようなワークショップのコンセプトが犬飼の口から語られた。犬飼は現在では「運楽家」を名乗っているが、かつてはゲームクリエイターとして、ビデオゲームの開発に従事していた。そこで直面したのは、消費者側の消費者意識の高まりと、一方で開発者側の開発者意識の高まりに伴う両者の分断だったという。
成熟した業界ではどこでも直面する課題だと言えるが、両者を知る立場からこの問題をどのように乗り越えるのかを考えた結果、スポーツなどのような身体を使った遊びや、スポーツそのものをつくること、さらには共につくることの重要性に思いが至り、つくりながら考える「デベロップレイ」という手法の考案や、それに基づくスポーツ共創イベントの実施へと繋がっていったという。まさにアクションシートの見本のような話が示された。
哲学対話
つぎにアクションシートの策定に入るのだが、その前に安本をファシリテーターに「哲学対話」がおこなわれた。「哲学対話」と聞くとギョッとするかも知れない。デリダやドゥルーズのような哲学者、はたまた脱構築や思弁的実在論といった現代思想上のトピックについて語らなければならないのだろうか、と。
しかし、そうではない。哲学対話とは、哲学についての対話ではなく、自由に問い、考え、語り、聞く営みのことである。我々の日常生活において、相手の話を理解し、会話が成り立っていると思っていても、実際はそうではないことも多い。同様に知らず知らずのうちに自らに制約をかけ、自由に話せていないこともある。哲学対話では、「人を否定したり茶化したりしない」「意見が変わってもいい」などの8つのルールに則って対話を重ねていく。
最初のお題は「始まりについて」。ひとりひとりが自由にお題について話していく。その過程である解釈や体験が掘り下げられたり、スライドしたり、展開はまちまちだ。哲学対話では、対話の場において結論めいたものを導くことが求められない。一方で発言者の発話内容をよく聞くことが求められる。その重厚さを目の当たりにして、筆者は、結論を急ぐ、説得することに重きをおいた日常のコミュニケーションスタイルを内省するきっかけとなった。このワークショップでは、この後もことあるごとに哲学対話の方法論に基づいて、議論がなされる。
アクションシートに書き込まれる各自の「ゴール」
そして、アクションシートの策定に移る。策定した参加者から順に発表をおこない、それに対して犬飼や安本、神谷からフィードバックを得る。アクションシートは基本的に参加者ひとりにつきひとつだが、団体で参加している場合は3人ひと組になる場合もある。
発表されたアクションシートに記載されたゴールのうち、最も多くを占めたのがスポーツ共創イベント、特に自分にゆかりのある地域での「未来の運動会」の実施だった。スポーツ共創の過程においては、ただ純粋にスポーツをおこなう以上の複雑なコミュニケーションが生まれる。そうしたコミュニケーションを通じて、地域社会の活性に繋げようとする試みが多かったように思う。
つぎに多かったのが、既存の運動会などのスポーツイベントのアップグレードである。やはり学校教員や学生・生徒は、既にそうしたプラットフォームを持っているため、スポーツ共創の知見を導入して、より楽しい、より教育的な観点から意義のあるものへと変えていきたいという思いが感じられた。ほかにも、企業研修にスポーツ共創を取り入れる、新しいスポーツビジネスを創出するなどの提案もあった。
このように参加者の多くは、スポーツ共創がからむゴールを挙げていたが、必ずしもそうでなくとも良い。先述の通り、このワークショップでは「スポーツを共につくる人材」を「スポーツをつくる」と「共につくる」というふたつのスキルセットを併せ持った存在として捉えている。よって、前者のみ、あるいは後者のみというゴール設定も十分にありうる。実際、「未来について幅広いひとびとと議論するためのプラットフォームをつくる」というゴールや、「名古屋にアートセンターをつくる」といったようなスポーツとダイレクトに結びつかないゴールもあった。こうしたゴールが許容されることはむしろスポーツ共創の可能性を広げる上で重要だと思われる。
2日目:スポーツ共創イベントの実施
2日目はスポーツ共創イベントとして、会場を小学校内の体育館に移して「スポーツハッカソン」と呼ばれる運動会競技を共創するワークショップと、その競技を実際におこなう運動会「小さな未来の運動会」を実施した。
スポーツハッカソンに入る前に、犬飼からスポーツ共創および、スポーツ共創イベントについてのレクチャーがおこなわれた。何ができたらスポーツを作ったと言えるのか。なぜ犬飼はスポーツ共創のアウトプットとして「運動会」の様式を引用するのか。
スポーツ共創イベントを円滑に運営するためにはどのようなスタッフが必要なのか。適切な競技の実施順はどのようなものか。など、犬飼がここ数年で培ってきたノウハウが惜しげもなく披露された。スポーツ共創イベントの実施を視野に入れているひとであれば、このレクチャーだけでも価値はあったのではないだろうか。
「未来の運動会」の型を説明する
実際にスポーツハッカソンに入る。今回はその後におこなわれる「小さな未来の運動会」までを1日で終わらせなければならないので、参加者を4チームに分けて、運動会競技を各チーム1種目ずつ、合計4種目つくることになった。筆者が過去に参加したことのある「YCAMスポーツハッカソン」では、10種目を2日間かけてつくり、それをさらに1日かけて「未来の山口の運動会」で実施していたので、このワークショップがいかにコンパクトかがわかるだろう。
しかし、ただコンパクトなだけではない。これまで各地で開催してきた「スポーツハッカソン」と「未来の運動会」にはイベントの構成や進行に一定の型がある。わかりやすいところで言うと、「未来の運動会」には選手宣誓や準備運動などがあるし、「スポーツハッカソン」にも遠吠えというセレモニーがある。こうした型がどうして必要になるのか、どのような効果があるのか、進行の途中でテレビアニメ「ヤッターマン」のナレーションのごとく犬飼から注釈が入るのである。
これは従来の「未来の運動会」はもちろんのこと、スポーツハッカソンにも無い要素であり、やはり人材育成を企図したこのワークショップならではの仕掛けと言える。
スポーツハッカソンでは、まず10分間程度でアイディア出しをおこなう。白紙にテキストやイラストで何か競技のアイディアや、それ以前の断片的なイメージをひたすら書き出す。アイディアは必ずしも内側からやってくるものではない。実施環境である会場の特徴に目を凝らすと自然とアイディアが出てくることもある。そのような実践的なアドバイスを受けながら、参加者がひたすらアイディアを書き出す。おそらく200枚くらいは出たのだろうか。そのアイディアを体育館の床に敷き詰めて、みんなで分類しながら、開発する競技の方向性の絞り込みとチームビルディングをおこなっていく。
チームとつくる競技の方向性が定ったら、あとは2時間かけてチームごとにデベロップレイを重ねていく。チームのまとめ役として、参加者からファシリテーターが選任され、彼らが中心となってデベロップレイを進めていく。2時間というと、それなりに時間があるように感じられるかもしれないが、実際には運動会での実施に向けてゲームバランスを考慮したルールの策定もしなければいけない。それ以前の参加者の安全面も担保しなければいけない。なので、時間的にはとにかくタイトである。ひたすら各チームは議論しながら、テストプレイを重ねていく。
そうして最終的には4つの競技が出来上がった。「3D綱引き」「ズボラサッカー」「ターザンボーリング」「タピオカバランスティー」である。競技名を決めるのも立派なスポーツ共創のひとつである。競技名からこぼれ落ちるエッセンスを拾って、どのような競技なのか思いを馳せて欲しい。
参加者が進行役、音響担当など運営を担う
4つの新種目が生まれ、「小さな未来の運動会」の実施に移る。今回の運動会では、参加者が単に運動会に参加するだけではなく、一部の参加者が進行役のMCを担ったり、音響効果を担当するなど、裏方も同時に兼ねているのも特徴だ。一部の未来の運動会では、プロのMCや音響スタッフに依頼する場合もあるが、予算面など様々な事情からそうは行かない場合もある。また、仮に発注するとしても、一般的なMCや音響効果と求められるものも異なるため、発注主としては必要なスキルについて把握しておくことも重要だろう。
運動会では4チームで、完成した4つの競技を順番におこなう。これはあくまで学びの場なのだ、ということはわかっていながらも、いざ競技を目の当たりにすると、上手くプレイしたい、勝ちたいという思いが自然と湧き上がってしまうのが人間の性なのか。これまでのワークショップの雰囲気から一転、バトルとも言える白熱した競技が展開された。
終了後のリフレクション(反省会)
「小さな未来の運動会」の終了後はリフレクション(反省会)がおこなわれた。リフレクションのトピックは、スポーツ共創イベントを取り巻く、2つのレイヤー、デベロップレイヤーとファシリテーターについてである。こちらもスポーツハッカソンと同じように、白紙に意見を書き出し、それを分類、それを見ながら議論をおこなっていく。
デベロップレイヤーについてのリフレクションでは、自らに課してしまう制約についての議論が多かったのが印象的であった。具体的には、デベロップレイにかける時間の短さから、確実に競技化できそうなアイディアに偏っていくこと、既存の道具や競技のルールを導入するとそちらに思考が引き寄せられること、自分が持つ年齢や性別などの属性を基準に考えてしまうことなど。なぜ哲学対話が、このワークショップにおいて導入されているのかが理解できる瞬間でもあった。
ファシリテーターについてのリフレクションでは、彼らの責任の重さ、チーム内の合意形成の難しさについての議論が中心となった。スポーツハッカソンでは、アイディアを拡散させながらも、最終的には収斂させなければならない。その収斂の過程において、どのように合意を形成するのか。そこにノイズが入ることがあらぬ方向に競技がまとまってしまうリスクについて語られた。あるファシリテーターが、合意と同意が違うということを理解することが必要だと語っていたのが印象深い。
3日目:アクションシートの改訂
最終日はこれまでの経験を踏まえてアクションシートを改訂し、発表した。1日目と同様に犬飼や安本、神谷、そして他の参加者からフィードバックを得る。
どの参加者も、全体的にビジョンが明確となり、プランがより一層具体化した印象を受けた。例えば、ゴールとしてスポーツ共創イベントの開催を掲げた参加者の多くは、開催時期や実施体制、名称、他地域と差別化するポイントなどが具体化していた。なかでも宮崎県でスポーツ共創イベントの開催を目指すというゴールを掲げた参加者は、最終的に、宮崎県をモチーフにした競技をつくることや、ファシリテーションという概念を他の職業のひとたちに伝えられるような運営を心がけること、イベントに対する理解度を高め、継続的な開催の土台をつくること、などを新しい目標/課題に据えていた。
やはり今回、実際に規模は小さいながらも運営に回ることで、必要な人員や道具、予算規模、スポーツ共創イベント特有のハードルなどが把握できたのだと思われる。また他の地域でスポーツ共創イベントの実施を目指す参加者の意見を聞く中でブラッシュアップできた側面もあるだろう。なお、この参加者はその後10月20日に宮崎県小林市で「こばやし熱中運動会」を開催した。その模様はスポーツ共創WEB内の以下の記事に詳しいので、この機会に合わせて参照していただきたい。
【レポート】宮崎県小林市 南校区まちづくり協議会で「こばやし熱中運動会をつくる!」
また、似たゴールのビジョンを持つ、そしてバックグラウンドが異なる参加者同士が手を組む例もあった。こうしたカップリングはワークショップならではとも言える。
ほかにもゴールをガラリと変える参加者もいた。自らが通う学校で新しい球技大会を開催することをゴールとして掲げていたある参加者は、それも視野に入れつつ、最終的には何かを共創するパートナーを斡旋できるプラットフォームをつくることをゴールに掲げていた。
ひとつひとつの発表を聞いたのちは、犬飼から修了証が手渡され、ひとりの落第者を出すこともなく、ワークショップは終わった。「ローマは一日にして成らず」と言うように、3日間では「スポーツを共につくる人材」を育成するのは困難である。よって、このワークショップには、単発のイベントに止まらない工夫がある。
それがFacebook上の「スポーツ共創人材育成ワークショップ2019参加者グループ」である。ここで、スポーツ共創にまつわる様々な情報が交換されるとともに、参加者各自のその後の取り組みの報告がなされている。開催から2ヶ月以上が経過した今でも、アクションシートで記したゴールへのマイルストーンを共有する参加者がいる。
犬飼はワークショップの冒頭で、このワークショップを通じて育成を目指す「スポーツを共につくる人材」が持つ、「スポーツをつくる」と「共につくる」という2つのスキルセットのうち、「共につくる」ための手法については、参加者自らが、自らのゴールを実現する過程で学び取るしか無いと述べていた。
この部分だけ切り取ると無責任な発言のように聞こえるかもしれないが、それはこのスキルセットが冒頭でも記した通り、非常に捉えどころのないものだということを示している。であるからこそ、ワークショップという枠組みを超えた、参加者全体の相互扶助的なフォロー、主催者側の継続的かつ個別的なフォローが重要なのだ。そういう意味ではまだこのワークショップは終わっていない。
まとめ
だいぶ駆け足でまとめてしまったが、このワークショップには良い点もあれば、課題もある。
まず良い点として、これほどまで「共につくる」という営為を考える機会はない。他者と身体を動かしながら考えるということは究極のボトムアップ的な「共につくる」行為である。
また哲学対話は、自らや他者の思考の特性に対して感覚が開いていくという意味ではトップダウン的な「共につくる」行為である。この両面から、「共につくる」ことについて考えることは、ある種の瞑想のような効果があり、筆者の場合、今日の社会や、創造性のあり方、個人のアイディアが社会に接続されるプロセスについて大いにヒントをもらった。だから「スポーツ共創」という言葉に惑わされないで、デザインやエンジニアリングなどに関心があるひとも参加して欲しい。
筆者は、「未来の山口の運動会」の運営に外部から携わることが多い立場の人間である。傍観者としてイベントを眺める過程でこれまで疑問に感じていたことの一端が解決した。それはファシリテーターの価値判断である。
山口での開催の場合、参加者は4チームに別れてデベロップレイを重ねていくが、これまでその役割は犬飼や運動会協会の西翼らが担うことが多かった。彼らの動きは会場内をひたすら巡察したり、そうかと思えば唐突にチームのデベロップレイに混ざったり、といったように傍目には不可解に映るものが多く、その割に、彼らの判断や助言自体がイベントの性質を決定してしまうほどの影響力があるように思われた。
今回のワークショップでは、「小さな未来の運動会」の終了後に、先述の通り運動会を取り巻く参加者のレイヤーごとに反省会がおこなわれており、その中でもファシリテーターについては多くの時間が割かれていた。また、今回、犬飼がスポーツハッカソンや「小さな未来の運動会」でイベントの進行中にその役割を事細かに説明していた。これらを通じて、筆者が感じていた不可解さの一端が解明された。
たとえばスポーツハッカソンの時に犬飼や西は巡察してなにをしていたのか。ひとつは安全管理である。集中力が高まれば高まるほど、精度が上がるかもしれないが、そう広くはない体育館で、他の参加者を傷つける可能性もあるし、自身のケガに繋がる恐れがある。そうなれば、スポーツハッカソンは中断され、盛り上がりに水をさすことになるだろう。また、仮にそういう出来事が引き起こされないにしても、未然に防ぐために厳しく声を挙げれば、これもまた同じことだ。そうしたことにならないように、細かくチームの位置を移動させたりするなどして、リスクを小さいうちに取り除いているのだ。
つぎに、進行のタイムキープである。会場によっては、使用時間に厳しい制限がある場合がある。どんどん時間が押していって、予定の工程をこなせないまま、会場から去らなければならないとしたらどうなるか。言うまでもないことだろう。また人間の体力や集中力には限界がある。そうしたことを踏まえて適宜休憩を入れたり、予定を細かく組み換えたりするのもファシリテーターの役割である。
彼らがチームのデベロップレイに参加するのにも理由がある。チームの人数よりも多い人数で競技しなければならないもののシミュレーションを円滑にしたり、あえてイレギュラーな行動を引き起こし、競技のルールのバグを明らかにする、まるで「デバッガー」のような役割を果たすことで、競技をブラッシュアップさせるためである。そのタイミングはいつでも良いわけではない。以上はファシリテーターが重視している事柄の一部である。こうしてファシリテーターは前に出るでもなく、参加者の後ろでそっと後押しをしているのだ。
「デベロップレイ」によく似た言葉に「トライアンドエラー」という言葉がある。トライアルをおこなえば、なにかしらのエラーはつきものだ。エラーが続くと、ひとは滅入り、トライアルは止まってしまう。ファシリテーターとはトライアルが強度を保ちながら続くように、エラーのリスクを低減させ、仮にエラーが起きたとしてもそこから生まれる物理的なものも心理的なものも含めた障壁を引き下げる存在なのだということが理解できた。実際、犬飼は「小さな未来の運動会」の前のレクチャーでファシリテーターのことを「環境係」と呼んでいたが確かに言い得て妙である。環境それ自体は意思を持って行動を起こさないが、しかし、その内部の存在に影響を与える。
スポーツ共創イベントは常に不思議なバランスで成立しているが、その背後にはファシリテーターの細やかな手つきがある。従来、ファシリテーターに必要なノウハウやスキルは犬飼をはじめ一部の人間しかその技術を習得していなかったが、このワークショップは彼らを外在化させることでスポーツ共創の普及を図るものだと見なすこともできそうだ。だから、各地で「未来の運動会」に参加したひとのうち、なぜこのようなイベントが成立しているのか気になった方も参加してみて欲しい。
このワークショップの課題も挙げておこう。参加者がアクションシートで掲げたゴールの大半が、彼らがイベントのディレクターやプロデューサーとして関わるものだったにもかかわらず、それらの立場についての知見は座学やコメントでフォローされることが多く、実践が乏しい点が挙げられる。
ただ、幸いにして、講師/ファシリテーター陣のホスピタリティが充実しているため、ネットワークを形成するのは難しくはない。懇親会と称した宴会は毎晩あったし、事実、現在に至るまで、オンライン上で活発にやりとりがおこなわれており、そうした難点はワークショップ外でフォローされている。
しかし、このワークショップが継続的に展開するものになった時に、どこまでフォローができるのかが鍵になるだろう。なので、参加者側としては事前にアクションシートを練り込んでおく、自分のゴールの弱点を洗い出しておくこと、またワークショップ中は、コラボレーションができそうな相手を見極めることも視野に入れて相手の話をきちんと聞いておくことをオススメしたい。これで、一定の解決は図れるはずだ。
とにかく講師もファシリテーターも運営スタッフもモチベーションが高いひとたちばかりなので、かたちは変わるかもしれないが、同じコンセプトのワークショップは継続して開催されるのでは無いかと思う。その時に備えて今から預金と有給休暇を貯めておこう。
新種目「ズボラサッカー」
「スポーツ共創人材育成ワークショップ」で開発された競技の中から、「ズボラサッカー」について特筆したい。
この競技はその名の通り、ズボラなサッカー、つまりプレイヤーが寝転んだ状態でおこなうサッカーである。フィールドは、寝転んだ状態でプレイヤーがおこなうため、長辺15メートルほどとと小さく、また使用するボールは、サッカーボールではなく、直径1.5メートルほどのバブルボールや、大玉転がしの球を用いるのが特徴だ。プレイヤーが寝転んでいるため、一見ゆるやかな動きが続くが、その中でもボールは素早く動いていくので、そこにスポーツとしての面白さ、戦略性が生まれる余地がある。実際に運動会でも、非常に白熱した対戦が展開した競技だったが、その楽しさの裏には問題も潜んでいた。
一般的に腕の筋肉よりも脚の筋肉の方が数倍強い。よって大人がボールを蹴り上げると、数メートルも中空に浮かび、落下する。その下にプレイヤーがいたらどうなるだろうか。また基本的に、相手陣地にボールを移動させるためには、寝転がった状態で言うと、自分の爪先方向に蹴り続けなければいけない。するとプレイヤー同士が対峙したらどうなるか。自ずとボールごと相手を蹴り飛ばすリスクが生まれる。
寝転がってプレイすることは、ある意味で子どもや高齢者に向かって開かれているような印象も受けるが、いざ競技を開始し、白熱していくと先述したような様々な課題が浮かび上がってくる。また危険であるからこそ面白く感じてしまうという、人間の本能のような側面も浮かび上がる。参加者は競技をエンジョイしながら、こうしたことについても議論していた。
新種目「3D綱引き」
4方向から綱を引っ張り、中央の「鈴」をサークルに入れた数で競う。
新種目「ターザンボーリング」
ロープを掴み、ターザンよろしく滑空し、大玉を蹴り、その先にあるカラーコーンに当てる。カラーコーンが倒れた数で点数を競う。
新種目「タピオカバランスティー」
お盆の上に乗せたボールをできるだけ揺らさずに運ぶリレー形式の障害物競争。ボールの中に入ったスマートフォンにより揺らした数がカウントされる。
いますぐスポーツ共創をはじめてみよう!
渡邉朋也
美術家/タレント。1984年、東京生まれ。小学校1年生から4年生まで水泳を、同じく小学校1年生から高校1年生まで剣道を地元の教室で習う。また、中学・高校時代はソフトテニス部に所属していた。実家が西武線沿線という縁から、プロ野球・西武ライオンズのファンで、現在は球団、一軍二軍問わず幅広く球場で声援を送っている。愛読書は草野進「プロ野球批評宣言」。
この記事はスポーツ庁 2019 年度
「スポーツ人口拡大に向けた官民連携プロジェクト・新たなアプローチ展開」にて作成された記事です。
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出典:スポーツ庁WEBサイトspotsuku.com